text= 黒田良太(東京R不動産)
JR山手線「駒込」駅と「田端」駅の間に建つテラスハウス4棟が2013年3月、リノベーションによって生まれ変わりました。すべての住戸に庭がある、低層の集合住宅「テラスハウス」。昭和40年代後半は、都心部で高層の集合住宅が大量に供給され出した時代。そんな中、都心に程近い田端で建てられたテラスハウスが今もここに残っているのです。今ではあまり見られなくなったけれど、僕たちも愛してやまない、そんな「テラスハウス」について、少しだけレポートしたいと思います。


生まれ変わったテラスハウス。現在は植栽工事を行っています(2013年3月4日撮影)。

都心にまだ残っていたテラスハウス

山手線、駒込駅・田端駅から徒歩10分の丘の上。この場所に、日本国有鉄道(現在のJR)の社宅として建てられたのが、このテラスハウスです。

昭和40年代後半、東京では郊外に大規模団地が、都心部では高層の団地がつくられていました。また一般的に言っても、テラスハウスは郊外や都心近郊のエリアに多く、ある程度規模の大きい団地の中に建てられることがほとんど。そんな中、山手線沿線のこの場所に、低層のテラスハウスが建てられたのです。

では、なぜ高層住宅を建てていた時代に、この場所でテラスハウスだったのか?
その理由は、この土地が貨物列車の通るトンネルの上にあるからなのです。

つまり、ここでの建物の重さには制限があり、大きなものは建てることができない。だからこの場所には2階建のテラスハウスだったのであり、今もなおその姿を残している、というわけです。


この土地の下にはトンネルがあり、現在は湘南新宿ラインと貨物列車が通っています。

日本でテラスハウスが登場するのは、昭和30年代。当時、高度経済成長を迎えた日本では、テレビ・冷蔵庫・洗濯機が「三種の神器」とされ、人々は新しい生活を手に入れることを夢見ていました。

そんな時代の中で、都市部への人口集中を受けて設立されたのが、「日本住宅公団(以下、公団)」です。そして公団が各地に計画した初期の団地、特に都心近郊から郊外にかけて建設された団地に、テラスハウスは多く取り入れられました。

ちなみに、昭和30年代に建設された公団住戸の中で、約2割がテラスハウス。昭和32年竣工の千葉県八千代市にある「八千代台団地」は、すべてがテラスハウスで構成されていたと言うほど、各地で大量に建てられていたと言います。

でも、そんなにたくさん建設されていたテラスハウスも、昭和30年代の終わりと共に公団の団地ではまったくつくられなくなりました。そして、それに代わるように高層の集合住宅が増えていきました。爆発的に増える都市部の人口。それによって起こる住宅難を解消するためには、より効率的に大量の住宅を供給する必要があったのです。

一方で、土地をゆったりと贅沢に使っているテラスハウス。それは、時代の要求と共に建てられなくなってしまう運命にあったと言えそうです。


現在の「阿佐ヶ谷住宅」(2013年2月撮影)。ほとんどが空家状態になっている中、今も大事に使われている住棟もありました。

「阿佐ヶ谷住宅」に見る昭和30年代の革新性

昭和30年代に設立された公団には、人々を住宅不足から救うという命題がありました。

そのため、公団では住戸設計の標準化や、建築の工業化に取り組み、特に低層で構造的な制約が少ないテラスハウスでは、ブロック造、RCの壁式構造やラーメン構造など、さまざまな工法での建設が試みられていたようです。

中でも、工場でつくったRCの壁や屋根を、現場で組み合わせて建物をつくる工法は、建設費や工期を抑え、廃材を減らすという、当時としては先進的な工法で、現在の建設技術にもつながっています。

そして、施工技術と同時に追求されたのが、新しい住空間をつくりだすということです。
今では一般的になった「食寝分離」の生活スタイルや、洋式水洗トイレ、ガス給湯風呂、ステンレス製の流しなど、当時の日本にはなかった様式を積極的に採用するという、革新的な取り組みがされていたのです。

さらに、その情熱は、住宅設備ばかりでなく、団地全体の空間デザインにも向けられました。その1つの例が、建築家・前川國男が手がけたことで有名な「阿佐ヶ谷住宅」です。

この団地でテラスハウスの設計を行ったのが、ル・コルビジェの弟子である前川國男。全体計画を担当したのは、フランク・ロイド・ライトのもとで学んだことで知られるアントニン・レーモンドと、坂倉準三に師事した後で公団に入社した津端修一。この2人のタッグによって、名作と言われるあの団地がつくられることになります。


阿佐ヶ谷住宅案内図(2013年2月撮影)。

敷地に緩やかな曲線の道が通り、それに沿ってテラスハウスと中層の住棟がゆったりと配置された阿佐ヶ谷住宅。団地内を歩くと、弧を描く道とたくさんの樹々がつくりだす風景が、多彩な表情を見せてくれます。都心近郊とは言え、樹々に優しく包まれるこの団地での暮らしは、分譲当時も魅力的な存在として、人々に受け入れられたのでしょう。

しかし、そんな名作と言われる阿佐ヶ谷住宅でさえ、老朽化などを理由に、何年も前から建替えの話が出ていると言います。


田端のテラスハウスの、ビフォー。建物の前に広がる庭には、これから樹々が植えられる予定です(2012年7月撮影)。

生まれ変わる田端のテラスハウス

名作・阿佐ヶ谷住宅でさえ建替えられようとしている現在。そんな中で田端のテラスハウスは全面的にリノベーションされ、新しく生まれ変わりました。

古くて味わいのある内装は残しつつ、現代の生活に合うように機能もデザインも生まれ変わらせる。

そして内装だけではなく、庭や外構もリノベーションし、新しい命を吹き込みます。各住戸の庭は、住人が自由に使えるように土を残し、街路には樹々を。また、新幹線や京浜東北線などが一望できる敷地北側の空き地も整備され、公園になります。ここには、樹々やベンチが配置され、テラスハウスの住人だけではなく、近隣住人の方々も利用できる憩いの場所となる予定。


田端のテラスハウスの配置計画。

公園になる予定の空き地(2012年7月撮影)。

この田端のテラスハウスには、阿佐ヶ谷住宅のような広い敷地はありません。だから、ゆったりと歩き回る散歩道のような空間は望めないし、ここに新しく植えられた樹々が大きく枝を広げ、花々に囲まれる風景ができ上がるまでには、まだ少し時間が必要です。

でも、新しく生まれ変わったこのテラスハウスは、これからここで暮らす人たちに育てられ、きっと皆さんに愛される存在になっていくことでしょう。

これから、人口の減少を迎える日本。遠くない将来、あの阿佐ヶ谷住宅が建てられた頃と同じぐらいの人口になると言われている今、このテラスハウスのようなゆとりある住空間が見直され、再び集合住宅のスタンダードになる日が来るような予感がしています。

リノベーションの詳しい内容などは、こちら。
東京R不動産 【連載】田端のテラスハウス・リノベーション
都会の古くて新しい居住について(2)