text=北澤 潤(北澤 潤八雲事務所) photo=伊藤友二
ホテルが行われた日から、1カ月が経ちました。

幻のホテル

あれから1カ月が過ぎた。広場に設置されていたホテルフロントはもう無い。客室の看板は取り外されている。もちろん「太陽」も浮かんでいない。
あの日のことがウソだったかのように、井野団地は元通りの風景を取り戻している。

「あの部屋ね、人が住んでないからホテルになったんだって!」
団地の広場で遊ぶ女の子が遠くを指差しながら、確かにそう言った。隣にいるもう1人の女の子はその指が差す方を見上げている。私が「サンセルフホテル」のことを知らないただの通りすがりだったら、耳を疑ったことだろう。その子が指差していたのは普通の団地棟。ホテルらしさはやっぱりどこにも見当たらない。

まるで映画のように

団地商店街にある「いこいーの+Tappino」※1 の入口には「サンセルフホテルムービー上映会」と書かれた紙が貼られている。中には大きなスクリーンが張られ、その手前には映画館の客席のように椅子が並んでいる。
上映開始時間が近づくと、人が集まりはじめた。団地のあちらこちらから続々とやってきているけれど、様子がおかしい。いつもなら顔なじみのホテルマンたちが集まるだけだが、この日はこれまで見たことのない顔ぶれが多い気がする。一緒になって客席に座るとなんだか落ち着かない気分になった。
室内の照明が消えて、白いスクリーンにプロジェクターの光が当たる。1カ月前のサンセルフホテル当日を追った映像が映し出され、集まった観客はひとつひとつのシーンを食い入るように見つめている。
井野団地に訪れた宿泊客、フロントで出迎えるホテルマンたち。動き出すソーラーワゴン、ほんのり光る夜空の「太陽」。盛りだくさんのディナーに手づくりのインテリア。そして、ホテルマンと宿泊客の別れ。
改めて眺めると「あれは映画だったのではないか」と勘違いしたくなるほどに、現実ばなれした場面の数々。興味津々の観客たちからホテルマンへの質問が相次いだ。
約1時間の上映が終わると、客席に座っていた人びとはすこしずつ帰っていった。


※1 TAPの活動拠点であり、団地住民のお休み処となっている「いこいーの+Tappino」。

井野団地の奇跡?

静かになった「いこいーの+Tappino」でくつろぐホテルマンたち。

「あの部屋に、入居者がはいったみたい」

1人のホテルマンが伝えた新情報に、どよめく。期間限定でホテルの客室に変身したあの部屋。宿泊客が帰ったあとすぐに元通りの空き部屋へと戻っていた。その数日後、ホテルマンたちも気づかぬ内に新しい住民が入居していたようだ。ずっと入居者がいなかった空き部屋が突如埋まったという事実。井野団地にずっと住み続けているホテルマンたちにとっては確かに驚くべき出来事である。これは単にタイミングが重なっただけの偶然だろうか。それとも……。

心を動かすホテル

ホテルマンと宿泊客の総勢30名ほどがつくりあげた不思議な一晩は、この1カ月の間に当事者たちの予想を越えて、「うわさ」のようなものとして井野団地に広がっている。その「うわさ」は、1人の少女が感じる風景を塗りかえ、団地に住む人びとの興味関心を惹きつけて、もしかしたら団地外から引っ越してきた誰かの気持ちを動かしたのかもしれない。一見すると、元通りに戻ったかのように思えた井野団地は、どうやらほんの少し、目には見えない変化を遂げていたみたいだ。

ホテルマンたちは早速あたらしい空き部屋を探し、次回の宿泊に向けて準備をはじめた。


「いこいーの+Tappino」のある日の風景。サンセルフホテルのホテルマン活動はこの場所で基本的に行われている。

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北澤 潤八雲事務所

【連載】サンセルフホテル物語
第1回「ウソのようなホントの話」
第2回「うわさのしわざ」