text= 安田洋平(東京R不動産/Antenna.Inc)

団地好きにはたまらない、集合住宅歴史館。いざ。

同潤会代官山アパートの復元。こちらは独身用住戸。ベッドがかっこいい。

同潤会代官山アパート、こちらは世帯住戸。

蓮根団地。バルコニーという文化もここから。

2DKという居住性をつくりだした原点がここにある。

グラビア誌の記事。テーブルで食事をするというライフスタイルがいかに新しくモダンであったかが伺われる。

足つきテレビが美しい。

いざ念願の集合住宅歴史館

さて、いよいよ来ました。集合住宅歴史館。
なんと言っても、「わざわざ来た甲斐がある」と思わせてくれる一番の見所は、ここだろう。 
今はなく、歴史に残る初期の名作集合住宅の復元住戸がいくつも見られる貴重な館。鼻の穴が自然と膨らみます。

同潤会代官山アパート

かの同潤会代官山アパートメント。
1927年、東京、横浜、計16箇所、約2500戸が建設された、木造の住宅以外にアパートメント事業としては、わが国ではじめて本格的につくられたRC造の集合住宅。

建ったときのオリジナルに近い状態を、ひとつの部屋をそのまま持ってきたのではなく、解体時にいくつもの部屋から部分部分でかき集めてきて、組み合わせて再現したのだとか。
   
ロフト風のベッドスペースがあったりと、建物の躯体はモダンな洋式。だが、そこに乗っているのは、ござ、ちゃぶ台、ご飯を炊くカマド、など、古典的な和のコンテンツという、この時代の和洋折衷度が面白かった。

というか、空間のセンターに鎮座するザ・ちゃぶ台の存在感が、圧倒的・・・。

(ちなみにこちらは公団の作ではありません。日本住宅公団が設立されたのは1955年。同潤会代官山アパートができたのは1927年)。

蓮根団地

次の蓮根団地は、同潤会アパートの後に見るとその対照性が面白い。
前述の通り、20年代の同潤会では象徴としてちゃぶ台が置かれていたが、蓮根団地ではそうした時代のアイコンはダイニングテーブルに変わっていた。 
住宅公団が1955年にできてこの蓮根団地をつくったのが1957年。そこで登場したのが「2DK」。 
ダイニングキッチンに備え付けたテーブルで食事をする、「食寝分離」という新習慣の提案がそこにはあった。  
ちゃぶ台でご飯を食べ、またそれを片付けて寝室にするといった、食うところと寝るところの別がなかったそれ以前とは、あきらかにライフスタイルが変化している。

当時の雑誌記事のスクラップが展示されていて、そこには、ダイニングテーブルに洒落たテーブルクロスをかけてモダンライフを楽しむカップルの写真が映し出されていた。ちゃぶ台からテーブルへ、人々の生活が変わった瞬間のグラビア。

にしても、2DKということばはてっきり海外から来たとばかり思っていたが、実は住宅公団が新しい生活を提案するためにつくったオリジナルの造語だったとは。

ほかにも専用浴室、バルコニー、シリンダー鍵。このとき人々の生活に現れたもの。生活様式のターニングポイントがいくつもここにはありました。